3月3日 雛祭祭祀
- 2023/2/18
- 白川学館歳時記

「雛祭祭祀」
「子供の成長を祈る日」
桃の節供として平安時代前から行われていた三月三日の「上巳の節供」は、元々は京の都で豊かな階級の子女らが、御所やその飾り付けを遊びとして行っていたことが、健康や厄除けの願いと結びついたものです。
後に、江戸時代に武家社会にもその文化が入り、五月五日を兜や鯉のぼりの「端午の節供」として男の子、三月三日を雛人形や桃の花の「上巳の節供」として女の子と、それぞれ区別されていきます。しかしこれらは元々どちらも、親がこどもの成長を願う祭礼・風習でした。
とかく子どもにただ優しくするための日と思われがちですが、子どもの健康や成長を祈り、途中で挫折せずにしっかりと守り、導くという「親の決意の日」であるとも言えそうです。
「上巳と人形」
上巳(じょうし)とは三月最初の巳の日のことで、上巳の節供は身の穢れや不浄をはらう行事がはじまりとされています。人の形を紙や草木でこしらえて、それで身体を撫でて自身の厄を移し取り、水に流すことで祓いを行いました。これが「人形(ひとがた)」と呼ばれ、のちに雛人形の原型となっていきます。原始信仰の中の一つとして、自分の身代わりのような物を作り、病気治しや穢れの祓い清めに使っていたわけです。
「水と禊と雛祭り」
この、人形(ひとがた)を使って穢れを水に流す行事は、水の流れのある庭の上流から酒盃を流し、自分の前をその盃が通り過ぎるより前に詩歌を作り、その盃のお酒をいただいて次に流すという雅な神事、宮中の「曲水の宴」(めぐりみずのとよのあかり:日本書紀)が原型となっています。そしてこの行事は禊祓の原型ともなります。日本古来の信仰と水に対する信仰が結びついて、その後これがいわゆる流し雛、そして現在のような雛祭りとなっていきました。
「魔除け・邪気払いの桃」
古事記には、イザナギノミコトが亡くなったイザナミノミコトを追って黄泉の国にいき、すでにイザナミを呼び戻すことが不可能なことを悟り、そこから逃げ戻ってくるくだりがあります。その時、黄泉の国からの追手から逃れるために、イザナギが追手に向かって投げつけたものが三つの桃です。これが魔除け、邪気祓いの象徴となりました。三月の節供には桃の花を浮かべたお酒を飲み、無病息災を祈願し、のちにこの桃酒は姿を変えて、現在では白酒になったということです。

引用:「黄泉の国」神社本庁
「桃と言霊」
桃(もも)は百(もも)という数の教示となっています。同じように、お正月に飾る鏡餅(もち)は、百道(もち)という意味も持ち合わせています。日本語一音一音に五十の概念があって五十音になり、その運用方法がそれぞれに五十あって、言霊は百の神々によって構成されていると言われますが、これが桃(もも)となって表現されているわけです。黄泉の国から逃げ戻ったイザナギノミコトはこの時、桃に意富加牟豆美命(おおかむづみのみこと)と名付け、「私を助けたように、葦原の中国(なかつくに=地上世界)のあらゆる人々が、苦しみ悲しみに悩む時に助けよ」と命じます。
ちなみに古事記に登場する桃三つは、この言霊の百神の九十八、九十九、百番目の三神、「天照大御神」「月読命」「建速須佐之男命」を表しています。
「内裏雛」

引用:「雛人形」ー龍斎国盛。国立国会図書館ウェブサイト
雛人形は、皇室の御慶事を模してつくられています。「内裏(だいり)」は天皇がお住まいになられる御殿=皇居のこと。すなわち「内裏雛」とは、天皇・皇后のお姿の雛人形のことです。内裏雛の装束は、男雛は歴代天皇のみがお召しになられる中天の太陽の色を表した「黄櫨染御袍(こうろせんのごほう)」の衣冠束帯姿、女雛は「小袖(こそで)」「長袴(ながばかま)」「単(ひとえ)」「袿(うちぎ)」(袿は一般的には五枚重ねで五衣いつつぎぬとよばれます)「表着(うわぎ)」そしてこの上に「唐衣(からぎぬ)」後腰に「裳(も)」をつけた「五衣唐衣裳(いつつぎぬからぎぬも)」という十二単の正装のお姿をしているものが代表的なものとなります。
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