3月21日 春季皇霊祭

「春季皇霊祭」

「歴代天皇・皇族をお祀りする祖先祭」

 春季皇霊祭は毎年春分の日に行われる祭祀であり、秋分の日の秋季皇霊祭と同様に、歴代天皇・皇族をお祀りする祖先祭となります。遡れば皇室における祖先祭祀は陵墓で執り行われることが中心でしたが、平安時代に入ると御所に場所が移され、仏式による御黒戸(おくろど)に歴代御皇霊の位牌が安置されておりました。その後、明治期に入り、位牌は京都の泉涌寺に移されますが、御皇霊は明治22年に皇霊殿に奉祀されて現在に至っております。

 春分・秋分の日に、この春秋季皇霊祭が執り行われるのは、真西に沈む太陽に西方の極楽浄土を想い、太陽信仰と祖先崇拝が浄土思想と結びついた祖先供養の彼岸行事が日本には根付いていたからです。祝日法にはそれぞれ趣旨が定められていますが、春分の日は「自然をたたえ、生物をいつくしむ」、秋分の日は「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ」とされており、祖先祭祀の日としてその意義は存続しております。

 春季秋季皇霊祭は、皇室の御歴代、天皇陛下はじめ皇后陛下、皇族に至るまで、その先祖神を皇霊殿で、また天地神祇の神々を神殿において、慰霊と奉賽を、そして現在宮中では、この春秋季皇霊祭において宮内庁楽師による国風歌舞「東遊 (あずまあそび)」の中から雅楽と舞が奉納されます。


 またこの春分の日は、この日を境に一日の昼が夜よりも長くなっていく、太陽の活動のはじまりの日でもあります。特に春季皇霊祭は暦の上では、ある意味一年の始まりの日とも捉えられ、春の予祝を執り行わせていただく祭祀ともなります。


2018年3月21日 七澤賢治前代表の春季皇霊祭での講話より


「雅楽の種類」

 雅楽には、主に以下の3つの種類があります。

  1. 日本古来の儀式音楽や舞踊「国風歌舞 (くにぶりのうたまい)」
  2. 仏教伝来の飛鳥時代から平安時代初めにかけての400年間あまりの間に大陸や半島から伝えられた音楽や舞「大陸系の楽舞」
  3. 平安時代に日本独自の様式に整えられた音楽「歌物 (うたもの)」

1.「国風歌舞 (くにぶりのうたまい)」
「神楽歌 (かぐらうた)」「東遊 (あずまあそび)」「大和歌 (やまとうた)」「久米歌(くめうた)」など、 日本古来の歌謡に基づき平安時代に完成した声楽と舞。

2.「大陸系の楽舞 (たいりくけいのがくまい)」
 大陸、半島を経て伝わった、アジア大陸諸国の音楽舞踊に基づき、こちらも平安時代に完成した。「左方」、中国、中央アジア、インド方面に起源を有する楽舞に基づき、「唐楽(とうがく)」と呼ぶ。「右方」、半島に起源を有する楽舞に基づき、「高麗楽(こまがく)」と呼ぶ。

3.「歌物 (うたもの)」
 平安時代、大陸系の音楽の影響を受け、唐楽器の伴奏で歌われるようになった声楽。民謡を雅楽風にした「催馬楽(さいばら)」と 漢詩に節付けをした「朗詠 (ろうえい)」とがある。


国風歌舞「東遊 」について

「東遊」全体では、演奏時間に30分程度を要する長い組曲ですが、東国起源の風俗歌(大和地方の倭歌(やまとうた)に対応する)にあわせて舞もあります。明治以後は、宮中において4月3日の神武天皇祭、春・秋の皇霊祭、その他の春日、賀茂、大宮氷川など一部神社でもちいられています。東遊は5つの歌で構成されています。

歌詞

▼一段
や 宇度浜に
駿河なる宇度浜に
打ち寄する波は
七種の妹
(ななぐさのいも)
言こそ佳し

▼二段
言こそ佳し
七種の妹は
言こそ佳し
逢へる時
いささは寝なんや
七種の妹
こそ佳し

東国「アヅマ」とは、「ヤマト」の東側――特にその中心であった奈良盆地周辺より東にある地域を漠然と指した言葉であったと考えられております。

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