和学教授所について

和学教授所で学ぶ

高濱清七郎先生が、白川の継承を目的として創設した組織である「和学教授所」を、現代に蘇らせ、多くの方に白川の継承をすることを目的に創られた白川学館情報サイトが、この『和学教授所』です。白川学館の日々の報告や、入門講義の受講、講習のお申込みなどにもご使用いただきます。

和学教授所の歴史と系譜

幕末、白川伯王家最後の学頭である高濱清七郎は孝明天皇の勅命を受け、明治維新前夜の京都を離れた。そのころには白川伯王家は権威の象徴としての存在でしかなく、伯家神道の伝統を実際に継承していたのは学頭であったため、激動の時代において伯家神道の命脈を守ることを目的として京都を離れて身を隠すことを孝明天皇は命じたのでした。これが1866年の秋のことだったといわれています。

なお、白川伯王家は、明治時代に入ると王号を称することを禁じられ、当主の白川資訓(すけくに)は子爵に叙せられることになった。その後を継いだ資長(すけなが)には、実子がなかったため養子を迎えたが、後にその養子縁組は解消されたため、白川家の血筋はここで途絶えてしまいました。

そして、四国や九州の山里(やまざと)で身を隠して、幕末の動乱を逃れた高濱清七郎は、明治に入ってから有志を募って、白川の行法の継承を行う「造化参神神傳教會」、「和学教授所」を創立した。それにより、宮中祭祀としての伯家神道は、広く一般へその門戸を開くことになったのでした。

高濱清七郎先生 撰述による「造化参神神傳教會祝詞」
高濱清七郎先生 撰述による「造化参神神傳教會祝詞」

さらに、そのような一般向けの教えとは別に、伯家神道の奥義は高濱家の血筋に継承されていきます。その一人が高濱清七郎のひい孫にあたる高濱浩先生であり、七沢賢治は、その高濱浩先生から伯家神道の行法を伝授されました。

ただ残念なことに、最終段階の行を教えていただく前に先生が逝去されたため、先生の奥様から岐阜県大津にある長等神社の新宮宮司をご紹介いただき、そこで伝授を受けて、七沢賢治は伯家神道のすべてを体得します。つまり、伯家神道における七沢賢治の師は、「高濱浩先生」と「新宮宮司」のお二方ということになります。

一宮町の桃園にて
左から高濱浩先生、七沢賢治氏

甲府の七沢邸で行われた
「おみち」の修行の場で、
左から高濱浩先生、七沢久子氏、
七沢賢治氏、能澤壽彦氏

「和学」というものを、『和学教授所』という名前において、白川学館という150年間の流れをみますと、大きく「和学」というものが、白川の一番中心の学びといいますか、それが「和学」ということになり、明治になってからも、この伝統は続いてきたわけです。

なお、『和学教授所』の名前の由来は、伯家神道 和学教授所規則によれば、『伯家神道 和学教授所』とあります。さらに、当該規則文中には、 『白川家学頭 高浜家和学教授所』と記されています。以下に【伯家神道和学教授所規則】を引用させていただきます。

【伯家神道和学教授所規則】

伯家とは、平安時代後期から神祇官の伯(長官)を勤めてきた白川家のことです。白川家家伝の神祇祭祀・神道思想を伯家神道と言い、近世中期以降吉田家の勃興に対抗して、神社界にその勢力を伸長するようになりました。白川家は明治維新に至ってその家職を解かれましたが、この規則はその道統を継承する「白川家学頭高浜家和学教授所」の掟として定められたものです。

◆入門誓書
  1. 御国体を根本に立て、日本魂を振起し、皇国の大道を熟知して、修理固成の理を体認し、直ちに実行に施し候こと。
  2. 大道を心に得て、躬に行ふを楽しみとし、本業を勉励し、節倹を執り守り、世の弊習に伝染いたすことなく、人倫の道を履み行ひ候こと。
  3. 天神地祇を尊敬し、御教授の次第懇切に遵守つかまつり、斯道を拡充して盛大に至らしめ、誠をつくして我国の光をかがやかし奉り候やう相心得候こと。天神地祇に誓ひ、堅く相守り候。

◆神事心得(抜粋)

それ神のことは、いささかも私心なきを尊ぶ。決して人智をもつて論ずべきものにあらず。
これ全く惟神の大道を各自の身心に神習ふの学なることをよく会心了悟して、つねに身心を清浄に修行し、精神の素養を専一とすること至極肝要なり。
この故に、和学神事は神国固有の遠祖始めたまへる実践躬行の道なることを、念としてあやまるべからず。

  1. 精神神明に通じて幽理を会得し、一切のものの薀奥妙境に達すべし。
  2. 邦家の顕祭幽祭を熟知し、祭祀の大本を了悟し、皇国の国体を持するを旨とすべし。
  3. 日本魂を修成し、神智を啓発して、これを政治教育軍事外交経済万般に発揮し、小は修身斉家より、大は皇国的世界の建設にいたるを得べし。

◆和学教規(抜粋)
  1. 凡そ我国に生れ出て、人事を営むは、すべて神祇によらざるべからず。
    神徳皇恩を蒙らざるはなし。故に日本人たるものは、諸事祭祀を先にし、敬神もつて人事をつくすべきなり。
    これ祭政一致御国体の本義にして家庭祭祀の要務なりとす。
  2. 人にして食に乏しきは身の飢えなり、道を知らざるは心の飢えなり。
    和学は人心の飢えを救ふ実に救ひの大なるものなり。
    心に教を守り、身をもつて修理固成の道を惟神に履行すれば、即ち身修まりて自ら生業を修理固成するは当然にして、心身ともに飢うることなし。
  3. 各自その生業に従事勉励して怠るべからず。
    特に奢侈を禁じ、倹約を本とし、つとめて貯蓄をなし、凶事等不慮の用にそなふべし。
  4. 和学を広く一般に勧誘するは、国のため人のために急務なるも、神祇をかりて人を惑はすことあるべからず。
    また神伝相承といへども、国家国民のために相成らざることをかんがみず、みだりに神伝相承するを得べからず。
  5. 吾人は、神国に生れ、神徳皇恩を受けたる人なれば、肉体は神葬式をもつてし、霊は神に祭祀するは、その祖先の血統神孫神裔たるものの義務なり。報本反始の本分といふべし。
  6. 婚姻の礼は、男女家を治むるの始め、一生の大事なれば、もつともその礼を正しくし、夫婦の道を相わきまふべきなり。
    妻をめとるは、子孫継嗣の儀と、祖先の霊祭を厳にするを、助けしむるものなり。

高濱清七郎『和学教授所』創設から、
白川学館『和学教授所』創設までの系譜図

御田八幡宮司:吉田彦八氏92歳(当時)

八日市市(旧)の
安見先生宅(松尾神社)で撮影。
左が七沢久子氏、真ん中が安見晴子先生、
右が七沢賢治氏
渋谷、幡ヶ谷の小笠原先生宅で、
左が七沢賢治氏、真ん中が先生の奥様、
右が小笠原孝次先生

昭和59年山梨御坂(現笛吹市)の温泉で、
左が小笠原孝次先生、右が七沢賢治氏

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